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嵯峨御流と家元について

今日は少し園芸とは違う話です。



自分は実は活け花を習ってまして、流派は嵯峨御流を習ってます。
で、先日正教授と言う生徒さんに嵯峨御流の許状を出す事を許される人になりました。

嵯峨御流は1京都では知らない人は居ない位有名ですが、東京などの方で活け花やってる方でも何?って言われます。。。
なので少し嵯峨御流について簡単に説明したいと思います。

家元は京都嵯峨野にある大覚寺。
真言宗の古いお寺です。



上写真は嵯峨天皇の御影。

大覚寺は1200年前に嵯峨天皇が離宮として建立されたのが始まりとされてます。
嵯峨天皇は弘法大師空海を支援された天皇です。
また、芸術面でも大変優れた天皇でもあったようです。

伝によると嵯峨天皇が白菊を7本立てられて、以降花を捧げる時はこれを手本とすべし。と言われたのが嵯峨御流の始まりと言われてます。

歴史書では室町の立花が活け花の成立とも言われてますが、それより古いです。


上写真は後宇多法皇が使ったとされる籠。

その後一時期衰退しましたが、中興の祖と呼ばれて居るのが後宇多法皇。
嵯峨離宮で院政をしていたそうです。
また、後の世には南北朝の終りの調停をした場所でもあります。



上写真は嵯峨天皇の写経した般若心経を納めた心経殿にある心経前殿。
ここで嵯峨御流の階級の拝命式を行ないます。

歴史が古いお寺で、本尊は五大明王。
ですが、中心は嵯峨天皇が写経された般若心経と言う特殊な形態のお寺です。
住職も代々皇室から降りて来たやんごとない方が務めておられます。
なので住職じゃなく御門跡と呼ばれます。
許状を見ても大覚寺門跡と書いてあります。


上写真は大沢池に浮かぶ舟。

また景観としては日本最古の、人口池の大沢池、名古曽の滝などがあります。
京都ではモミジの名所として知られてます。


上は嵯峨学院の入口。

活け花嵯峨御流としては、江戸時代、未生斎広甫が花務長を務め全国に活け花を文化として広めたと言われてます。
その名残で、花名をもらうときには甫をつける人が多く、また正教授以上は嵯峨御流花務職と言う事になります。
許状に書かれた健甫は本名じゃ無いですよ。






写真は心経前殿の庭に活けられた御所車。

作風は
天地人の不等辺三角形をベースに花の特性を活かした三才格。
お生花と呼ばれる花態が特徴。
流麗で優雅です。
他にも未生斎が遺した色々な活け方が残って居ます。
伝統と雅に培われた活け花なのです。

説明は中々出来ませんが、伝統をキチンと継承してこそ革新的な物が出来るのが芸術の世界だと思います。

よく今までの型を打ち破るなどと鼻息が荒い若者がいますが、型破りとは型をキチンと理解して受け止めてから破る物で型が無いのに型破りは出来ない。それは型無しだと呼ばれます。
日々研鑽をして行かないと行けませんね( ;´Д`)
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Author:kawaken
時々ロックになる民俗学が好きな植物偏愛家です。
役に立つ事もたまに言うかもしれないけど、基本だらじゃべり。
時々若さ?ゆえの暴走もあるかも無いかも。
その時はご笑納を。

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